初めての就職&一人暮らし ~ドイツハイデルベルクでの懐かしい思い出~
数日前、NHKの「世界ふれあい街歩き」で私が20代の頃に住んだことのある懐かしいドイツのハイデルベルクが取り上げられていました。
かれこれ25年くらい昔のことなので、当時のことを思い出すことも少なくなっていたけど、昔と変わらない街の風景を見ていたら、いろいろと記憶が蘇ってきました。
備忘録も兼ねて、向こうに行った時のことをメモに残しておこうと夜中スマホに打ちこんでいたら眠れなくなってしまい、気づいたらすごく長い文章になってしまった。
でも、せっかく頑張って書いたのでこちらのブログにも載せてみようかなと思います。
興味ある人がいるのかどうか分からないけど、私にとって20代前半の若かりし頃の大切な思い出なので自分のためにも残しておきたいなと思って。
- 初めての就職&一人暮らし 【ドイツハイデルベルク】
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大学を卒業して最初の就職先がドイツにある免税店だった。
右も左も分からない異国の地で初めての一人暮らし。
言葉もほとんど分からない。
一応、大学の授業でドイツ語は少しだけ勉強してたけど、簡単な単語と文法がちょっとわかる程度で会話なんてまったくできなかった。
私以外に同期が5人いたのだけど、新卒で採用されたのは私ともう一人だけで、それ以外はみんな中途採用だった。
ひと足先に同期のうち3人が渡独していて、私は後発組として彼らより1ヶ月遅れて現地に着いた。
記憶がやや曖昧だけど、確か初夏に差しかかる4月の下旬とかそのくらいだったと思う。
新入社員の1ヶ月の差というのはけっこう大きくて、先に向こうに着いて仕事を始めていた同期たちは、既に職場にも仕事にも慣れていてなんだか頼もしく見えた。
気持ち的に遅れを感じながら、慣れない職場で接客と販売の仕事を先輩から教わりながらこなさなければならなかったのだけど、これが想像以上にハードなものだった。
私が配属されたのは、お店の出入り口に一番近いところにある民芸品コーナー。
くるみ割り人形や鳩時計、テディベアなど、ドイツを代表する伝統的なおもちゃや雑貨などが所狭しと並べられていて、見た目的には華やかで明るい雰囲気の店の顔とも言える看板エリア。
表のショーウィンドウには季節ごとに可愛らしい子供服や巨大なくるみ割り人形のディスプレイなんかがあって、観光客や現地に住んでいる散歩中のドイツ人の親子がガラスの前で立ち止まって嬉しそうに見ていることもよくあった。
民芸品コーナーは店の中でも一番扱ってる商品が多く、取引先の数もざっと50社くらいはあったと思う。
当時はまだインターネットが普及していなかったので、商品の発注方法はFAXか業者さんに直接店に来てもらいカタログを見ながらその場で注文するというアナログなスタイル。
入り口近くだったので、発注作業をしている時も店の前に日本からやってきた団体のツアー客が来るとドアを開けて迎え入れ、接客や販売業務も同時に行わなければならず、繁忙期ともなると地獄のような忙しさだった。
普段は寝込むことはあまりなかった私だけど、その時期だけは過労からか40度近くの熱を出してダウンすることが何度かあった。
当時私が配属された民芸品コーナーには、4歳年上の女性の先輩が一人いて、その先輩から仕事を教わらなければならなかったのだけど、最初から手取り足取り丁寧に教えてくれる人ではなかった。
「仕事は目で見て盗んで覚えて」と突き放され、何も分からない私はとにかく先輩がやる作業を真似して覚えていくしかなかった。
決して冷たい人というわけではなく、後々その先輩とはしょっちゅう二人で飲みに行くくらい打ち解けることができたのだけど、入りたての頃は気軽に話しかけるのも躊躇ってしまうような威圧感を感じていた。
今思うと、そもそも私がHSP(超敏感体質)だったからそんな風に過剰に反応してしまったのかもしれない。
当時は自分が繊細で敏感な人間だという自覚はあまりなかったので、自分を防御する術を知らず、人の何気ない態度や言動にグサグサと傷ついていた。
毎日慣れない仕事に辛くて辛くて心が折れそうになり、仕事が終わって店を出ると、住まいのマンションまで歩きながら「このまま日本に帰ってしまいたい…」と本気で思ったことを今でも覚えている。
帰りたくても簡単には帰国できないし、母親からは3年は頑張りなさいと言われて出てきたので弱音を吐くわけにも行かず、不安で押しつぶされそうになりながらもひたすら耐えるしかなかった。
ちなみに父は嫌になったらすぐに帰ってくればいいという私に対しては甘い人だったので、それはそれで逆に絶対にすぐには帰るものかという意地みたいな気持ちもあった。
私の性格的にも繊細で傷つきやすいくせに頑固で負けず嫌いなところがあり、上手くできない自分に対して悔しくて、とにかく一日も早く仕事を覚えてやる!と毎日気持ちを奮い立たせて頑張っていた。
その努力の甲斐もあり、だんだんテキパキと仕事をこなせるようになり、いつの間にか職場に行くのもさほど苦痛ではなくなっていた。
あまりにも私がせわしなく仕事をするものだから、店に来ていた取引先のドイツ人のおじさんから、もっとゆっくり仕事をしなさいとたしなめられたこともあった。
店は観光地の中心でもある旧市街にあったのだけど、少し離れた郊外のちょっとハイクラスなホテルの中にも支店があった。
支店の方はホテルのロビーによくあるちょっとした売店程度の広さの店だったので、主に入社したての新人が交代で店番をする体制になっていた。
ホテルの中なので本店のようにツアー客がどっと押し寄せるようなことはなかったが、こちらでは接客からお金の管理まで店の業務はすべて一人でこなさなければならず、慣れるまではちょっとしたプレッシャーだった。
入社1年目は私も週3日くらいは支店勤務で、朝からホテルに行くこともあれば、午前中は本店の方で働き、一旦家に帰って少し休み、夕方から支店での勤務という日もあった。
ホテル内にあるちょっとした売店も兼ね備えた店だったので、朝7時にはオープンしなければならず、早番の日は5時頃には起きて支度をし、夜明け前に家を出なければならなかった。
家の目の前を走っているまだ誰も乗っていない早朝の路面電車に乗り、ホテルがある場所の最寄り駅で降りて、そこから少し歩いて私が勤務する支店に向かった。
お客さんの9割が日本人である本店とは違い、こちらの支店はアメリカ人や他の欧米などから来た観光客が普通にタバコや新聞を買いにやってくる。
同時に日本人の団体ツアーもよく利用するホテルだったので、早起きの旅行客など私が7時ちょっと前に着くともう店のドアの前で待っているということもたびたびあった。
そんな時は慌ただしくドアを開錠してお店をオープンし、その日の朝届いたばかりの新聞を並べたり、レジのお金の準備をしたりしながら接客もこなさなければならず、少し大変だった記憶がある。
普段は日本語で接客することがほとんどだったけど、支店の方はドイツ語でのやり取りも多く、最初の頃は仕事の合間にレジの台の下でこっそり参考書を広げて、ドイツ語の数字を一から順番にひたすら覚えていった。
レジの機械があったものの、なぜか機械に打ち込まずに自分で計算しなければならないという店の決まりがあり、合計金額を伝えてお金を受け取り、お釣りを計算して渡すという一連の流れをすべて頭の中でドイツ語に変換して行う作業は、今思うとちょっとした脳トレだった。
余談だけど、テニスの女王として有名なドイツ人のシュテフィ・グラフが近隣に住んでいて、当時よくこちらのホテルに訪れていた。
私が店番中にも何度か買いに来たことがあり、レジでチョコレートをプレゼントしたことがあったのを急に思い出した。
店の目の前にはバーがあり、そこでグラフが飲んでいることを知り、一時的に店をクローズして緊張しながらサインをもらいに行ったこともそういえばあった。
快くサインしてくれて、一緒に写真まで撮ってもらった懐かしい思い出が蘇る。
写真は今もアルバムに入れたまま実家に置いてあるけど、もらったサインは残念ながら今どこにあるのかちょっと思い出せない。
近くに基地があって米軍の兵士もたまに買いに来たりして、拙い英語でコミュニケーションを取りながらいつの間にか仲良くなったりもした。
今振り返るといろんなことがあったなぁ。
ドイツに旅行に来た日本人の観光客からは、「こんな素敵なところに住めるなんていいですね」とよく言われたけど、実際の生活はそんなキラキラした感じではなかったと思う。
もちろん日本で見られないような美しい景色とか歴史ある建物とか、素晴らしいものにはたくさん触れることができたけど、住んでいるといつの間にかそれが当たり前になってしまう。
どこに住もうと同じだと思うけど、生活してしまえばそこが自分がいる日常の場所になるし、傍から見ていくら羨ましがられようと実際には良いことばかりじゃなくて大変なこともたくさんあった。
でも、それも含めて今は全てが思い出というか、あの時に学んだことは自分の中での財産だと思っている。
当時とは全く違うことを今はやっているけど、時折つまづいたりした時に過去の記憶が蘇ってくることがある。
あの時と比べたらこのくらい大したことないやとか、まだまだいけると自分を励ます材料にもなっている。
月並みな言葉だけど、若いうちにいろいろやっておくことは大事だなと思う。
やってきたことは後々になって自分の強みになるし、無駄なことなんて一つもない。
ドイツに住んでいたのはわずか3年程度のことだけど、こんな風に思い返して書いてみるのもなんだか当時にタイムスリップしたようで新鮮な気持ちになる。
昔の気持ちを思い出してちょっとセンチメンタルにもなったけど。
以上、思い出したままにドイツで働いていた当時のことを書いてみました。
続編はあるのかないのか?、気が向いたらまた書くかも分からないけど、最後まで読んでくださりありがとうございます。