この世は陰と陽でできているのに、美しいものばかり目につく違和感

もうすぐ春だな~と思いながら作ったオールグリーンのサンキャッチャー。
ちょうどプレシオサ社製(チェコ)直径40mmのグリーンのクリスタルガラスが手元にあったので、ナチュラルなイメージで。
人工的なパーツの中に自然なものを取り入れたくて、植物が何万年という膨大な時間をかけて化石化した白の珪化木を上下に組み入れました。
実は昨日もサンキャッチャーを作ろうとダークブルーのクリスタルガラスを使って試みたのだけど、気分が乗らなくて途中で断念…
サンキャッチャーは晴れの日以外はなぜか作る気にならないし、そうじゃなくても気持ちが上向きじゃないとピンと来るデザインがなかなか思い浮かばない。
作り手の波動が込められるアイテムなので、そうゆう時は無理して作らずに日を改めるようにしています。
作った作品は動画を撮影してインスタに投稿することが多いのだけど(今回のも載せてます)、自分のSNSを見ていると綺麗なサンキャッチャーの写真ばかりで、なんだかちょっとつまらないなぁ…と思ってしまった。
本当はこんな風に気分が乗らなかった時のこととか、ちょっとネガティブな状態の自分もそのままさらけ出したかったりもする。
でも、SNSってみんな整えられたキラキラ写真ばっかりだしね…
そこにあえてダークな一面をさらすのはやはりちょっと気が引ける(笑)
全ての現象には陰と陽があって、美しいものの裏には反対の要素も必ずあるはずなのに、それを表に出す人はとても少ない。
特にSNSはその典型ともいえるプラットフォームなので、ずっと前から実はどこか違和感があるというか、居心地悪く感じる時がある。
頑張って撮影したであろう綺麗な写真ばかり上げてる人を見ると、余計なお世話ながら、「多分この人無理してるんだろうな~」とか思ってしまう。
そんな風に裏の部分も感じ取ってしまうような冷めたところがあるので、SNSの世界には以前からどっぷり入り込めない私です。
かれこれ30年も前のことだけど、アメリカの大学に短期留学していた時に、授業で地元のアーティストの方を招いて話を聞く機会があって、同じクラスの誰かが「どんなものを美しいと感じますか?」ってその人に英語で質問をした。
その質問に対する回答が、「自分は何を見ても美しいと感じる、道に落ちているゴミですら美しい」というものだったのを覚えている。
ゴミを美しいと感じる感性は当時の若かりし自分には一切なかったので(←今もないけど)、とても衝撃的な答えだった。
美しいかどうかというのは相対的なもので、当たり前だけど自分が美しいと思うものだけが美しいんだなと。
逆に醜いものもしかりで、自分だけがそう思っているだけということもある。
出かける時にちゃんと化粧してなかったり髪型を気にしたりする私に、「ぜんぜん大丈夫、いつもと同じ」って夫に言われると、こんなこといちいち気にしてるのは自分だけか~ってよく思うし。
「この世の中には自分一人しかいない」説を聞く度に、ほんとにつまらないことばかり気にして生きてる自分を思い知らされる。
YouTubeのぺぇちゃんの動画を見るたびに、さらけ出し方が凡人レベルをはるかに超えていて、なるほどこうゆう人にみんな魅力を感じるんだなと思ってしまう。
自分が自分を認めているというか、完全に信頼しているという人が一番強い気がする。
今日はそんなことを思った日でした。
余談だけど、このコはどんな格好してようが可愛いし、存在してるだけで完璧と思う私です↓

自分のこともそんな風に思えたら、どんなに生きやすくなることか…
これは私にとって一生の課題かも?なんて思ってます。

