52回目の誕生日&父の施術の話
一昨日、52歳の誕生日を迎えました。
昨年同様、今年も当日は夫と一緒に地元の南イタリア料理のレストランでディナーを楽しみました。
一年前に見つけたばかりのお店だけど、料理が本当に美味しくてすっかりお気に入り♪
前菜↓
からすみのパスタともう一個はミートソースだったかちょっと忘れてしまったけどタリアテッレ↓
このゴルゴンゾーラのニョッキが絶品!
メインのお肉も火の通し加減が絶妙で量もちょうどいい↓
そして、このデザートの盛り合わせに入ってるカスタード入りのクロワッサンみたいなやつがすごく美味しい。
ティラミスも本格的なお味↓
シェフの見た目がぜんぜんイタリアンのシェフっぽくなくて(いつも私服に野球帽みたいなの被ってる 笑)、正直接客という点では一見あまり愛想は良くないお店に見えるかも。
でも、お話ししてみたら普通に笑顔で喋ってくれたので元々口数が少ない人なんだと思う。
料理はおいしいのに毎回行くとほぼ貸し切り状態で、もうちょっと接客に力入れたらお客さんも増えると思うんだけどな〜なんて。
でも、これがこのお店のスタイルなんだろうけど。
かつてイタリアで修行された方のようで、味は本当に文句ないレベルです。
先週末には実家でも母が手料理でお祝いしてくれて、私の大好きなお赤飯とコーンスープを食べてきました。
子供の頃からコーンスープが大好物で、この歳になっても「食べたいものある?」と聞かれたら迷わずリクエストしてしまう。
エプロンして写ってるのは83歳の私の父です↓ほぼ毎日シニアカーで出歩いてるらしく腕が真っ黒。
レストランとかと違ってごく普通の家庭のごはんだけど、母も80歳になり、こんな風に作ってもらえるのがあと何回あるのか…なんてつい心の中で思ってしまう。
実家が飲食店をやっていたので今まで当たり前のように父と母に料理を作ってもらってきたけど、もう父親は自由に体が動かないし、母も毎年作ってるコーンスープの作り方を忘れてしまうくらい頭も体も年老いてきています。
人間誰しも歳は取るし、衰えるのは当たり前のことなんだろうけど、私はやはり親が衰えていく姿を見るのが最近ちょっとつらいです・・・
数日前、夜ベッドで子供の頃住んでいた家のことを思い出して、もう50年も前のことなのに間取りとか家具の配置とか鮮明に記憶が蘇ってきて自分でもびっくりしてしまった。
階段を登って家に入っていく時の光景とかも、まるで今その場にいるかのようにリアルで、なんでこんなにも思い出せるんだろうと思っていたらそのうち腕がビリビリと痺れてきて。
もしかしたら当時の世界に次元を超えてワープしてしまったんじゃないかと思えるような不思議な体験でした。
2階が住まいで1階はお店だったのだけど、父も母も元気に働いていて、父とはよくお客さんがいない時お店で相撲取ったりしてたなぁと。
そんな元気だった父は今、酸素吸入しないと生きられなくて、最近はそれでも呼吸が苦しくて酸素の量を増やしているらしい。
いつもは「あと3年は生きる」が口癖だったけど、今回は「来年はもう自分はいないかもしれない」とぽつりと口にしていました。
私と一緒に写真を撮りたいと珍しく二人並んで写真も撮りました。
なんかこうやって書いてるだけでちょっと泣けてくる…
実家に行くたびになるべく施術をしてあげるようにしていて、折り畳みベッドも買って置いてあるので、今回も私の誕生祝いなんだからと遠慮されながらも両親の施術をしてきました。
父はもう5年近くステロイドなど強い薬を飲み続けているので、内臓が疲弊していることは間違いなくて、特に肝臓の機能が心配だった私は手を当てながら父の肝臓に意識を送りました。
多分普通の人だったら薬でやられてしまうだろうけど、父は元々内臓が強い方なのでなんとか持ちこたえているような状態。(←と私は思ってる)
肝臓の細胞が24時間ひっきりなしに父を生かすために働いていると思ったら、本当にありがたくて申し訳なくて、とにかくひたすら「ありがとう、ごめんなさい」を細胞に向けて言い続けていた私。
父に限らず、普段お客さんの施術している時にもこんな風に心の中で語りかけてます。
細胞に語りかけた直後、分かりやすく父の呼吸の状態に変化が起きて、あ~ちゃんと通じたのかもしれないと思いました。
意識は脳だけじゃなくて内臓にもあるし、その中の細胞一つ一つにあるということが証明されたような気分でした。
こんな風に誰かに教わったことじゃなくて、自分で試しながら気づくことも最近増えてます。
自分の中から出てきたやり方こそが本物だということも分かってきたというか。
誕生日の話から逸れてだいぶマニアックな話になってしまったけど。
52歳、まだまだこれからやりたいことを諦めずにやっていこうと思ってます♪
これからもよろしくお願いします♡