感性豊かな文章に惹かれる自分

ある日の食卓。
香味ネギだれチキンと人参とえのきのナムル。豆乳で作った豆腐に雑穀入りごはん。
これといって載せる写真がなかったもので、こうゆうのでも載せていこうかなと。
ネットの素材とかテンプレートを使っていくらでも見栄えよくできるけど、なんかあまり好きじゃなくて。
自分のブログは自分の波動の入った写真を使いたいという変なこだわりがある。
ホームページとInstagram以外にFacebookとnoteのアカウントも持っているけど、複数のSNSを使い分けるというのがあまり得意じゃないので、書きたいことはほとんどこちらのブログに書いています。
インスタは商品の宣伝かブログと同じ内容を短くまとめた文章を載せる程度。
写真もそうだけど、誰かの文章を読んでいるとその人の思っていることや考え方はもちろん、雰囲気もなんとなく伝わってくるし、教養や感性などすべてがさらけ出されているように私は感じている。
日本語の言い回しとか漢字の使い方を見るだけでも、その人が普段から本を読むか読まないかもだいたい分かるし、内面を見ている人か外側ばかり見ている人かもはっきりと分かる。
YouTubeとか動画だとそうゆうのはそんなに気にならないけど、文章となると私はけっこう気になってしまう。
ネットニュースとか読んでいても誤字脱字が多いと、一気に信頼度が下がるというか。
書いた文章を一度でも確認していれば気づくはずなのに、この人まったくしてないんだなと。
そんな風に感じているのは私だけかもしれないけど。
ちなみに私はメールでも何でも、自分が書いた文章は必ず後でチェックします。
私が美しいなと思う人は、文章を読んだ時に言葉選びのセンスがあって感性の豊かさが伝わってくる人。
見た目の容姿が綺麗だからといって惹かれるわけではなく、その人が発する言葉に「ああ、この人いいなぁ~」ってなる。
言葉から放たれている波動が心地良いということかもしれない。
異性に対してもそこは同じかも。
勉強が苦手なスポーツマンよりも、本ばかり読んでいるようなインテリ系が昔から好み(笑)
果たして自分が書いている言葉はどうなのかというと、ついつい文章が長くなってしまうし、それをちゃんと最後まで読んでくれる人は多分限られていると思ってる。
そうだとしても不特定多数の人に見てもらいたいとは全然思っていないので、届くべき人にだけ届いてくれればそれで充分。
文章と一緒に自分の波動も伝わると思っているので、そこでピンと来て何かを感じ取ってくれたら尚嬉しい。
今は個人が誰でもSNSを使ってアピールできるし、AIやソフトを使って画像を加工したりナレーションを入れたり、いろいろなことができる。
目に入った時のインパクトはあるしすごいなとは思うんだけど、ポストに入ってくるDMと同じというか、その人自身がどこかに行ってしまって私の心には残らない。
単に人ではなくサービスを売りたいだけならそのやり方でもいいんだろうけど。
こんな風に思ってる自分は、時代についていけないマイノリティーなのだろうか・・・
まあ、いいや。マイノリティーは私にとっては誉め言葉だと思っているので。
大海原であっちにいったりこっちにいったり流される船よりも、どこかでポツンと静かに佇む孤島でありたい。
たまに生きることに疲れた人や癒しが必要な動物たちがやってきて、ほっと安心しながら体を休められるような場所。
いつもそんな風に思ってたつもりはないけど、こうして書いていると自分の内面深くにあるものが出てくるので不思議。
やっぱり書くことが好きだなぁ。
去年久しぶりに見た海↓