目の前で起きることに良い悪いのジャッジをしない

目の前で起きることに良い悪いのジャッジをしない

数日前にベランダから撮影した夕焼け空。

刻々と空が変化していく様子が美しかった。

この日はお母さんに連れられて来た20歳の女の子のヒーリング整体の施術があり、その時のことを書かせてもらおうと思っていながら数日が過ぎてしまいました。

こちらに来られるお客さまは繊細な方が多く、外で周りに合わせすぎて気疲れしてしまったり、その日に起きたちょっとしたことを考え過ぎて眠れなくなってしまったり、そんなお悩みを聞くことも多いです。

今回の女の子も同じ悩みを抱えていました。

私もいろいろ気にしてしまう方なので気持ちはとても分かります。

今は自宅での仕事なので人間関係の悩みはそんなに多くはないけど、たまに外に出るとお店の人の態度にモヤモヤしたり、近くの人の行動が気になったりと落ち着かなくなる時もあります。

なんでそんな風になるのかを深く見ていくと、目の前で起きる現象に対して無意識に「良い」とか「悪い」のジャッジをしている自分がいることに気付きました。

動画とか見ていても発信してる人はただ自分が思うことを話しているだけなのに、聞いている人たちは勝手にこれは正しいとか間違っているという判断をしてコメント欄に書き込んでいるのをよく見かけます。

もしかしたら、私がこんな風に書いているブログの内容に対しても、読んでる人はこれは合ってるとか間違ってるという判断をしてるのかもしれない。

私はただ自分が思うことを書いてるだけなのに、人によってはこうしなきゃダメと言われているように感じたり、それができない自分に罪悪感を感じたりしていることがあるのかもと。

多分、そうゆう人は目の前で起きることに対して毎回、良い悪いのジャッジをする癖がついているんじゃないかと思います。

けれど、その生き方をしてる限り心は休まらないし、他人と自分を比べてばかりいるとだんだん心が疲弊しますよね…

目の前で起きることは、ただ起きているだけ。

良いも悪いも、正しいも間違ってるもなく、ただそこにあるだけ。

最近、聞き返している津留晃一さんの講話の中でも同じようなことを言ってました。

こんな風に書いている私も日常でジャッジしてしまうことはよくあります。

最近はYouTubeをよく見ているのだけど、この人の言ってることは正しいのかなぁと勘ぐってしまい、ちょっとでもあれ?って思うと見るのを辞めたり、結局これも無意識にジャッジしてるってことかと。

別にその人が話す内容すべてを信じなくても、自分が信じたいものだけ取り入れればいい話なのに。

それをいちいち正しいとか間違ってるとか、どちらかに分類しようとしてしまう。

そもそも何が正しいかなんて人によって違うし、主観でしかない。

真実の中には嘘があり、嘘の中にも真実がある。

そのくらいの気持ちで、目の前で起きてくることや誰かが話すことに対して「ふーん、そうなんだ」ってさらりと流していく癖をつけたいなと思います。

人間は神様じゃないので間違うこともたくさんあるだろうし、間違ったからといって相手を攻撃しないで欲しい。

攻撃的な言葉や想念はそのまま自分に返ってくるので。

批判とか否定をしたくなるとついネガティブな言葉を発してしまうけど、言葉はエネルギーなのでその波動通りの現象が自分に起きてきます。

逆に「ありがとう」とか「感謝」などの言葉を普段から使っていれば、そうゆう風に思いたくなるような出来事が起きるそう。

起きるタイミングにはタイムラグがあるのではっきりとは気付きにくいけど、因果応報の法則で必ず辻褄が合うようになっている。

心で思うことは止められなくても、せめて口に出す言葉には気をつけたいですね。

ジャッジせずにネガティブな言葉を発しない生き方をしていれば、そのうち周りも気にならなくなるだろうし、自分がやりたいことを自由にできるようになるんじゃないかなと思います。

うちの猫を見てると、周りを気にすることなくいつも自由でのんびりしていて、まるで生き方のお手本のよう(笑)

人間もみんなこんな風に生きられたらラクなのになぁ〜なんて思っちゃいました🐾

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