2022年以降の読み物は生成AIの影響を受けている!?

数年ぶりにお庭に咲いたかわいいお花。
名前を忘れてしまったのでスマホで画像検索したら「リクニス・コロナリア」というものでした。
こうゆうのも今は写真から自動検索することができるので本当に便利。
前回のブログで最近のAI技術に驚いたという話を書いたけど、生活する上では本当にいろいろと便利になったなと思う。
人が書く文章も最近は生成AIというのを使ってサクッと書けてしまうらしい。
今まで何時間もかけて調べながらやっと作成していた文章がわずか数分で出来上がってしまうなんてことも。
私がやってるネットショップのBASEでも商品説明を考える時にAIが自動で説明文を作成してくれる機能があって、説明に困った時に部分的に使わせてもらってます。
パワーストーンの説明とかわざわざ調べなくても勝手にいい感じに書いてくれるので助かる。
でも、実はこの生成AI、便利な反面ちょっと(いや、かなり?)危険な要素もあるらしい。
つい最近、新刊を出版されたさとうみつろうさんが、2022年以降に書かれたものはすべて生成AIの影響を受けており、人に与える影響も変わるみたいなことを動画で言っていました。
2022年まではまだ生成AIが普及していないので、今回出した新刊も2022年以前に書いたブログを一字一句変えずにそのまま編集しているそう。
AIの影響を受けていない時に書かれた文章は人間味があって、読んだ時に人の心に良い波を起こせるみたいなことも言ってました。
スピリチュアル的な言い方をすると、文章から伝わる波動がどうやら違うらしい。
ちなみに、みつろうさんの新刊についてのブログはこちら↓
これを聞いた時、私はものすごーく腑に落ちたというか、どおりで最近SNSを見ていても心に響く投稿が少ないわけだと納得しました。
画像も文章もAIを使ったソフトやアプリで加工されたものが多く、見栄えはいいのになぜか心に刺ささってこない。
人の脳とか心とか、今までだったら必ず経由してたものがスキップされてどこか味気ないものになってしまっているのかもと。
たとえその人がそうゆうツールを一切使わずに自分の文章を作成していたとしても、今の時代に生きている限り何かしらの影響を受けているそう。
私のようなアナログ人間でブログはすべて自分の言葉で書いてますという人でも、2022年より前と後では読んだ人に与える影響が変わるらしいと知ってちょっとショックでした。
人が書いた文章をAIが学習して、それを元にAIが作った文章を今度は人間がマネして…という風に繰り返しながらどんどんAI化されていく。
文章そのものから人間味のようなものが徐々に薄れていくことになるそう。
なので、これからの読み物は2022年以前に書かれたものを選んだ方がいいと。
これを聞いて私は、AIが便利だからといって良いことばかりじゃないんだとちょっと怖くなりました。
と同時に、まだ怖いと思える自分であったことにちょっとほっとした。
AI化の波に完全に飲み込まれている人はきっと怖いなんて思わないだろうし。
最近はスマホでずっとAIと話してる子供も増えてるそうで、そうゆう子たちは話し方もAIの影響を受けてどことなく不自然になっているらしい。
さとうみつろうさん曰く、AIには皮膚感覚がないので、生身の人間だったら「痛い」と思ってしまうような表現も平気でしてくる怖さがあると。
例えば「腕をもぎとられた」のような表現もさらりと書いてくるそう。
痛みを想像する知能までないAIとともに成長する子供がどんどん増えていったら、たまにニュースで見る「人を殺してみたかった」という理由の犯罪もさらに増えてしまうのか…なんてことを考えてしまった。
話は変わるけど、最近20代、30代前半くらいの若い子と話す機会が増えて、そのたびに何かこう不思議な感じというか違和感を覚えることが何度かあった。
全員が全員ではないのだけど、なんとなく話していても相手の感情が見えてこないというか、まさにAIと話しているかのような感覚という表現が私の中ではぴったりだった。
単に世代間のギャップかなと思っていたのだけど、実は既にそうゆう影響が表れてるってことだったのかもと。
私が小さい頃はネットなんてなかったし、コミュニケーションも直接話すか電話か手紙で、人間味という点では今よりずっと濃かった。
人と話すのが苦手な自分にとっては、けっこう無理して人付き合いをしなきゃいけない時もあったけど、今思うとそれはそれで人間らしさみたいなものを学ぶ機会になっていたのかもしれない。
AI化された世の中がこれからどう変わっていくのか分からないけど、なんだかいろんなことを考えさせられました。
とはいえ、私は今まで通りに書きたいことを自分の言葉で発信していこうと思います。
最後にベランダのブルーベリーの写真↓

受粉させるために最初は2つあったんだけど、残念ながら1つは枯れてしまった。
1本だけでもこうやって今年も実をつけてくれたことが嬉しい。